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比叡山焼き討ち

「比叡山焼き討ち」は、1571年に近江(現在の滋賀県)にある比叡山延暦寺で織田軍と対立していた比叡山との間で起きた合戦です。神に仕える寺を打つということだけでもタブーなことでしたが、この合戦で信長は僧侶や老若男女関係なく住民を無差別に焼き討ちにしていきました。その数、なんと3千人以上にのぼると言われています。この人とも思えぬ焼き討ちも、後に信長が魔王と呼ばれる由縁の一つでもあります。

また一般的には信長の家臣・明智光秀が信長に対して「焼き討ちをやめてほしい」と言ったと言われていましたが、近年では「和田頴一家文書」が発見されたことにより、焼き討ちの実行部隊の重要な役割を担っていたのが光秀自身であることがわかりました。

日吉大社

788年、最澄が延暦寺を建立しました。日吉大社は比叡山の地主神として祀られていた鳥居です。しかし、信長によって延暦寺が焼き討ちになった時に、日吉大社も同じように焼き討ちにされてしまいました。