家康は居城の浜松城に籠りました。そして家康は信長の援軍を待ちましたが、信玄は「城に籠られたら落とすのに時間がかかる。浜松城の西北にある三方ヶ原で家康が出てくるのを待とう。」と言い、三方ヶ原で家康を待ちました。すると家康は三方ヶ原へ出陣してきました。結果的にこの合戦は武田軍の圧勝で終わりました。
ちなみに家康は浜松城に戻ったとき、武田軍の誘いに乗ってしまいたくさんの兵を失ってしまった自分の愚かさを残し、戒めるために「しかみ像」という苦しんだ表情をした肖像画を描かせたことは有名な話です。
静岡県浜松市北区根洗町にある三方ヶ原墓園の駐車場の隅に三方ヶ原古戦場の石碑が立っています。三方ヶ原の台地上で起きた三方ヶ原の戦い。しかし、詳しい場所は未だわかっていません。全てが解明されないところが歴史の醍醐味かもしれませんね。