「小谷城の戦い」は織田信長軍と浅井長政軍の間で行われた戦です。時代は天正元年(1573年)8月。これまで何度も浅井・朝倉の同盟軍と戦を行っていた信長は、一乗谷城の戦いで朝倉軍を攻め、朝倉軍の内紛もあり朝倉軍を攻め滅ぼしました。
朝倉軍を攻め滅ぼした織田信長はそのまま浅井長政の居城である小谷城に向かいました。この時浅井軍の約5,000人の兵力に対し、織田軍は30,000人の兵力がありました。そのため、普通に戦ったら勝ち目もないので浅井軍は小谷城に立て籠りながら戦いました。
しかし、城に籠りながら戦ったにせよ埋まりようもない兵力差。浅井長政は妻のお市と三人の娘たちを城の隠し通路から信長の元へと返し、浅井長政自身は自害しました。これにより浅池は滅亡し小谷城の戦いも終わりました。