本能寺の変は、1582年に起こった日本の歴史の中でもとても有名な事件です。
信長の家臣・明智光秀は、信長の命により中国地方へ出陣するように言われていました。一方、信長は、100人というわずかなお供と一緒に本能寺に入りました。ちなみにそこで茶会を開いています。
そして茶会を開いた日の深夜、城から出陣した明智軍は中国地方へは向かわず、「敵は本能寺にあり!」と光秀が号令をかけて全軍本能寺の方へ向かってきたのです。そして本能寺は明智光秀率いる明智軍によって囲まれてしまいました。
本能寺はもともと30以上の子院を持つ大きな寺でした。しかし1582年に起きた「本能寺の変」で焼失してしまいました。現在では碑が立っています。
ちなみに跡地は、京都市立堀川高等学校本能学舎と京都市本能特別養護老人ホームになっています。