本能寺の変②

寝ていた信長は外が騒がしいことに気が付き目を覚まします。始めはただの家臣と家臣の喧嘩だと思っていた信長でしたが、小姓である森蘭丸に様子を見てくるように言うと「本能寺は囲まれてしまいました。敵は明智軍です。」と言い、この時信長は「是非に及ばず」という有名なセリフを発しています。

本能寺は明智軍の火計により炎に包まれました。それでも家臣たちと自ら槍を手に奮闘した抗戦していた信長ですが、ついに自害してしまいました。この時「敦盛」を舞ったと言う話は有名です。

また、小姓の森蘭丸も信長と共に果てました。

あの時、本能寺の変が起きずに織田信長が生きていたら…。日本の歴史も変わっていたかもしれませんね。

本能寺

1587年、信長の家臣である豊臣秀吉の指示によって現在本能寺がある京都府京都市下京区本能寺前町に移されました。本能寺の変で散った者達の供養塔や、信長の墓が本能寺の境内にあります。